Shinya Shimizu

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  • 講演3 :清水信哉氏
 

 エレファンテック株式会社の清水と申します。私は現在33歳で、2006年に東京大学に入学し、音声認識などの研究をしていました。他にはプログラミングや機械設計、回路設計などを行っていた、どちらかと言えばエンジニア畑の人間です。全日本学生フォーミュラ大会(現:学生フォーミュラ日本大会)出場サークルでエンジニアリング部門に所属し、ものづくりにも触れていました。今回はなぜそんな人間が起業に至ったかという話にも触れられたらと考えています。
 まず、会社の説明をさせていただきます。「新しいものづくりの力で、持続可能な世界を作る」というミッションのもと、いわゆるエレクトロニクス産業、電子回路・基板・半導体などの製造方法を根本から変えようという事業を行っている技術系のベンチャー企業です。ご存じの方も多いかと思いますが、一般的な電子回路や半導体の製造には、基本的にはエッチング、サブトラクティブ法と呼ばれる技法が使われています。全面に銅箔を張った基板に写真の要領で回路を転写して、不要部分を腐食させて除去するという、要するに「積んで削る」という無駄が多いプロセスなのです。それに対して当社では、インクジェット技術を用いて金属をダイレクトに印刷し、それを化学的に成長させる、「削る」のではなく「積む」という方法を提案しています。
 2014年、東京大学の川原圭博先生を技術アドバイザーに迎え、東大発ベンチャーとして創業しました。以来6年ほど基礎研究・研究開発を行いながら約48億円の資金を調達し、2020年、ようやく世界で初めてこの印刷による方法で電子回路の量産を開始しました。現在は顧客も持ち、例えば電器店で買える一般向けディスプレイの中にも当社で印刷した回路が使われているものがあります。人類の歴史の中でもエポックメーキングな仕事と自負しています。
 もともとは、金属の印刷に特化した事業をしたい、プリンタとインクを販売しインクで利益を上げるようなビジネスモデルでと考えていたのですが、金属を印刷する技術自体を誰も使ったことがないため、実績もなければ市場性も問われるという状態でした。そこで、自社で製造体制を作り、「この技術は使える」とお金をかけて実証しているわけです。その上で、装置や技術を売る形に切り替えていくというモデルがユニークなところだと考えています。
 大学発ベンチャーにありがちな、技術はいいけれども単体では誰も買ってくれないし市場もないという状態から、ならば市場は自分で作るしかないというところへ到達するまでには時間がかかりました。ベンチャー企業で、十数億円を投資して工場を造るような手法は、決して簡単なことではありませんが、エレクトロニクス産業の製造方法を根本から変えようなどという大きなことに挑戦するには、そこまでやらなければならない、そう決断しました。
 もう1つユニークな点としては、トップメーカーを含め多くの会社と、資本業務提携という形で、投資を受けつつ連携していることが挙げられます。私はIT分野で修士号を取得したのですが、なぜこのようなものづくりの分野で起業したかと言うと、起業当時住んでいたアメリカ合衆国で、純粋なITでアメリカに勝つのは難しいこと、そして日本人に生まれたからには日本の強みを生かして世界と戦っていきたいという思いを感じていたからです。人類の科学分野を加速させ、科学の歴史の1ページを飾る。そんな仕事をしたいと考えた時、日本が強い技術を持つトップメーカーと連携することは、日本の強みを生かせるという意味で重要と考えました。
 ここからはメッセージのような話になります。それは、未来を創るのは大変だということです。研究は、まだ誰も手がけていない分野を開拓することに価値があるのですが、事業はそうではありません。投資を打診しに行って訊かれるのは、利益が出るのか、成功例はあるのかということです。前例のないことがリスクと捉えられるのです。そのギャップは大きいものでした。提携の ために当たった100社ほどの企業のうち、8割は門前払いです。「大企業でもできないことをできるわけがない」だとか「本当に可能ならもう誰かがやっているはずだ」だとか、いろいろなことを言われました。
 ただ、別に全員に理解される必要はないのです。むしろ、100人中100人が「これは絶対にうまくいく」と言うものは、恐らく人類を進化させるようなイノベーションではないと思います。お金の出し手は世界中に星の数ほど存在し、1社でも2社でも賛同があれば資金は集まります。我々のような科学技術系のベンチャー企業は、むしろ「自分でなければ誰もやらないだろう」ということにチャレンジすることにこそ意味があると思っています。そして、精神論になってしまうのですが、諦めないことが大事だとも思います。市場や企業の判断は刻々と変化します。実際に当社でも、1度断られた後で提携をいただいたケースもあります。
 シリコンバレーで生まれ、スタートアップの世界でしばしば言われる言葉に「難しい課題の方が簡単」というフレーズがあります。つまり、「この技術はここにしかない、我々がやらなければ誰もやらない」という大きな課題のほうが賛同者を得やすいし、人生を賭けるモチベーションが維持できるということです。実際私も、起業してから苦労の連続でした。それでも、電子産業を根本から変えるような大きい目標だからこそ、ここまで諦めずにやって来られたと思っています。
 私は25歳のときに起業しました。当時考えたのは、25歳から例えば60歳まで元気に働けるとすると、30年余りだということです。人類を変えるような大きなことを成し遂げるには10年はかかると考えると、自分の人生にはあと約3回しかチャレンジのチャンスがない。一刻も早く、自分の人生を賭けて何かをしたいと思ったのです。私は技術が好きで、今でも研究開発を続けていますし、特許の出願書類を自分で書いたりもします。死ぬときに「人類のこの分野の科学は自分のおかげで進んだな」と思えたら満足だと思う人間です。そういった意味でも、起業は有意義に人生を過ごす方法の1つではないかと思っています。
 とはいえ私も、当初から起業ありきだったわけではありません。きっかけは、大学院修了後に勤務したコンサルティング会社からボストンに留学させていただいていた時、マサチューセッツ工科大学のMIT $100Kというピッチコンテストと出合ったことです。高名な大学ですから、さぞ優秀な人ばかりなのかと思えばそうでもないと感じて、自分も実際に参加してみたのです。結果は予選落ちでしたが案外いけるなという気持ちになり、「ではやってみましょう」と始めました。
 よく人に「私は経営者向きですか」といったことを訊かれるのですが、最初から社長に向いている人はいないと思います。私も研究や技術が好きだったので社長は向いていないと思っていたのですが、実際はそうではなく、環境に合わせて、投資家と話したりプレゼンをしたりもできるようになりました。今ではむしろ、技術がきちんと分かる人が投資家や社会に向けてメッセージを出すことが大事だと思っています。
 これまで48億円の資金を調達しましたが、実際のところ事業はまだ成功していません。不良品が出て謝りに行ったり、エンジニアが辞めたり、まだ黒字化できずキャッシュが毎月減っていたりと、結構大変です。でも、有意義な人生の使い方だと思っています。「リスクはありませんか、怖くないですか」と訊かれるのですが、5年やって失敗したとしても全てがなくなるわけではありません。東京大学を卒業し、大企業に入り5年働いた人は大勢いますよね。ですが5年間スタートアップで挑戦して失敗した人は多くないですから、市場価値は高いと思います。リスクというなら起業よりもむしろ、大企業でリストラや分社化に遭うリスクのほうが高いのではないでしょうか。
 新しい技術を実用化・進歩させていく存在というのは本当に、人類にとって宝だと思います。そんな方が1人でも多くなることは人類にとっても幸いです。起業を考えている方は、ぜひ御検討いただければと思います。

 


アメリカから見たとき、日本の魅力は改めて何だったと思われますか。


まず、市場が有利な点です。我々の参入した電子回路分野は世界市場の97%をアジアが占めるため、物理・文化的に遠いアメリカより有利です。また日本にはすばらしい技術と資産を持った会社がたくさんあることも明確なメリットだと思っています。それに日本人は本当に真面目で、開発のテーマや目標が決まってからの開発能力がすごいです。
ただ、何の開発をすべきか、市場の創造や展開、資金調達をどうするかを考えるのが得意でないところは欠点だと思います。自分がそこを克服できるような存在になり、日本の強みを生かしていければと考えています。


今の事業の次にチャレンジしたいことは既に考えていますか。


したいことが多すぎて、誰か代わりにやってくれないかとアイデアを発信し続けているほどです。いずれにしても、人類のステージが変わるようなことをしたい。例えば、私は人が死ぬリスクがミニマイズされる社会になるといいなと思っているので、例えば、 倫理的な問題が大きくデリケートな話題ではありますが、人工子宮で子どもが生めるようになれば、母子の命のリスクや女性のキャリア停滞を避けられるのではと考えています。


技術や事業性を否定されることも多かったと思いますが、自分の信念を否定したり、心が折れることはありませんでしたか。その後、どのようにして立ち直りましたか。


正直に言えばかなりありました。その度に先輩起業家の方に話を聞きに行き、経験談などをうかがいました。「そうか、みんなこういうのを乗り越えて成功しているんだな」という気持ちで何とかやって来られました。


エレクトロニクス基板等は大企業が多く存在していることから、コストや生産性など多くの障壁があると思います。創業時、差別化の戦略はどの程度、把握・構築できていたのでしょうか。


定量的には全く把握できていませんでした。既存の手法に比べてこちらの方が原理的・技術的に筋がいいでしょうという理屈、創業時はそれだけでした。さすがにその後調査を行ったり、現在は量産実証をしたりもしているので、かなり具体的にコストメリットの実証ができています。


現在、欧州を中心とした環境規制の中では、こうした低環境負荷・低エネルギーの生産はコストを払ってでも取り組む流れなので、先見性のある技術開発をされてきたわけですね。


環境や資源がなくなってから、できなくなってからでは遅いですから。例えば原油の代替エネルギーにしても、原油があるうちはそのほうが安いわけですが、では原油がなくなるまで開発をしなくていいかと言えばそうではありませんよね。同じように我々も、現在のような規制が始まる前から、いずれ環境や資源の負荷が低い生産技術が求められることになるという確信がありました。


投資家はこの技術のすごさが分かる方ばかりでしょうか。


こちらの技術の方が筋がいいという話と、材料が少なくてすむという話はしますが、技術に関して一般の投資家の方が理解できるのはここまでだと思っています。その先はお客さんも巻き込んで、コメントをいただいたりします。「コストや精度がこのレベルに達すれば実用化できると思う」といったコメントをいただければ、投資家はそれを信じます。自分が言っても説得できない部分もあるので。


研究開発を進めるうえで、自分が生きている間に実現できないかもしれないアイデアと、人類の科学を確実に10年間進められそうなテーマで、どのように優先順位をつけているかお聞かせください。


自分が生きている間に見られることをしたいです。ただし、必ずしも自分の力で開発する必要はないとも思っています。例えば、我々が10年以内のスパンでインクジェットやアディティブマニュファクチュアリングの手法が産業でも使える可能性を示せば、多くの企業が参入して領域が拡大し、それがひいては人類の進歩にさらに大きく効くかもしれません。それこそが私の本当にやりたいことです。


どうすれば起業する学生が増えるのか、支援策について教えていただけますか。


重要な論点です。MITの例は参考になるかと思います。MITの場合、起業家の卒業生と学生のネットワークが強いこと、そして起業はクールなことだという雰囲気があることが、多くの起業家を生む素地になっています。日本にも起業家は一定数いるはずですが、卒業生として大学とのつながり持つ人少ないのではないでしょうか。それに私の修了当時は、起業は大学の研究の神髄とは違うと言われていました。それが今では、むしろ起業している先生が格好いいという雰囲気になっているのはとてもいいことだと思います。私は東京大学にも「Webサイトのトップで、学会の受賞や科学的発見だけでなく、卒業生の起業家の実績もアピールしてください」と言っています。


起業家との人脈形成は大学時代にできたものでしょうか、それとも起業後に経営を行う中で形成されたものでしょうか。


起業後にできた人脈が大きいです。起業家は基本的に世界をよくしたいと思っている方が多いので、今はSNSなどもありますしコンタクトすれば真剣に話してもらえることが多いと思います。